栃木県
栃木市の町名をとる。明治十七年まで栃木県庁があった。宇都宮に県庁が移っても県名だけは町民の強い希望でのこす。「栃」は「栃」の字の誤用。栃木の生えている所。宇都宮は現々宮で、二荒山神社が日光から当地に示現される地。
栃木県
【由来】
明治4年,廃藩置県で旧藩を中心にした10県が栃木県,宇都宮県となり明治6年,両県が合併し栃木県となる。
明治9年,一部を群馬県に移し,現在の行政区域となる。
県名の由来は正式には不詳。
下野新聞社発行の栃木県大百科事典には神明社の屋根ぐしの千木(ちぐ)から出ており,屋根にある10の千木の「とうちぎ」ではないかとの説を紹介している。
県内をながれているうずま川には、昔、河原や湿地があり、栃の木が多く茂っていた。住民はこの栃の実を食料とし、採取にでかける時に「とちのき」に行くといっていた。これが自然に地名になったといわれている。
最初に県庁が置かれた栃木市の神明社の屋根に、10個の千木があったことから、という説もある。
十千木(とおちぎ)」説
旧県庁所在地栃木市の中心部に神明宮という社があり、昔この屋根にある千木(ちぎ)と呼ばれる柱が十本に見えたため、「十千木」と呼ばれたから。
うーん・・・ちなみに管理人は栃木市の住人ですが、神明宮って聞いたことないですねぇ。大平山神社の方が有名なんですけどね。それに廃藩置県で置かれた栃木県は今の栃木市、佐野市、足利市を含む地域なんですが、佐野厄除大師だとか足利学校だとか、超有名どころがそろっているのにわざわざそんなマイナーなお宮のマイナーなエピソードが県名として残るものですかねぇ・・・。うーん。
「栃の木」説
トチノキが多く生えていたから。
まー安直。桃の木が多く生えてりゃ「桃木県」、榎木が多く生えてりゃ「榎木県」、なんじゃもんじゃの木が多く生えてりゃ「なんじゃもんじゃ木県」か?
ちなみにトチノキはマロニエと言うんだそうだ。フランス語かな確か・・・。
「崩壊地名」説
栃木市内を流れる巴波川(うずまがわ)に浸食された崩壊地名を表す「ちぎる」に接頭語「と」をつけたもの。
・・・・・・・・・・・「おらが地域」の名前を付けるのにそんな持って回った命名をするか、ふつう。だいたい「と」ってのは接頭語だったのか? ああ、「とまどう」なんてのがあるからいいのか。しかし、接頭語としてどうして「さ」とか「あ」とか「お」じゃなくて「と」が選ばれたのかも説得力に欠けるなぁ・・・。
確かに栃木市を代表する川が巴波川なのはいいとしても、だったら「巴波県」とするのがそこにすむ人々の感覚というものではないか? 「ちぎる」なんて言葉、なにも川から持ってこなくてもいいだろう。
というわけでいちばん納得がいかない説ですね。
「遠津紀国(とほつきのくに)」説
今から1600年〜1700年ほど前に,崇神天皇の皇子として生まれた豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)が,全国統一の命令をうけて「下毛野国(しもつけぬのくに)」をおさめた。豊城入彦命は見知らぬ土地で暮らすうちにさみしさをつのらせていき、自分のふるさとである紀国(きのくに)(現在の和歌山県)の風景に似ている大平山付近を眺めては「遠津紀国(とほつきのくに)」(遠くはなれたふるさとの紀国のようだ)とつぶやいたという。この「遠津紀国(とほつきのくに)」が「とほつ木」→「とつ木」→[とち木]とかわっていき現在の「栃木」に変わっていった。
もっとも感動的かつ説得力のある説だと思います(わたしにはね)。歴史を感じさせる名前ですねぇ。出典はなんなんでしょか。日本書紀ではないですね。下野国風土記かな・・・。現存してないだろうから、それに類するものかな。
しかし、崇神天皇の頃って奈良県じゃなくて和歌山県だったんですか、おすまいは。まぁ、天皇の御子が2,3世紀頃の両毛地域に穏便にやってくるとはちょっと思えないにしても、紀国をふるさととする誰かがこの地にやってきて故郷を懐かしみ「遠津紀国」とつぶやいたか歌を詠んだかが残ったとみるのに問題はないでしょう、たぶん。
希望的観測でしかありませんが、これが命名の由来だったらいいなぁ、とは思います。